EPISODES それぞれの「これから」

「エンジニア」の経験を活かした
「おもてなし」

観光施設の館長への転進

山本則光さん

(50代)

  • S社(半導体メーカー:品質保証・販売促進)
  • 大分県観光施設・館長

前職時代〜海外勤務が転機に〜

前職時代

私の学生時代、理系新卒は引く手あまたで、受けた会社からは必ず内定がでる状態でした。電気工学を学んでいた縁で大手半導体企業S社へ入社。最初の配属は品質保証部門の顧客対応業務でした。
転機が訪れたのは、それから3年後で、海外工場で製造する製品の品質改善業務のために、海外勤務を任命されました。外国語は得意ではなかったので、赴任直後は特に苦しかったことを覚えています。
海外工場は、いろいろな国の集合体で、文化や価値観も様々。今までのやり方が通用しないことが多く、時間をかけて現地メンバーと対話する毎日を送りました。苦労した分、理解し合えた時の喜びは、今まで味わったことのないものでした。根っからの理系だと自負していましたが、(異なる文化や人と関わりあう仕事が、自分には合っているのかもしれない)と感じさせてくれた海外勤務を5年間勤め上げ、帰国の途につきました。
帰国後の仕事は、『S社の製品・技術を広くアピールする』ための新規事業立ち上げ部門。チームで法人顧客満足度を上げるための活動に取り組みました。例えば、工場視察イベントにサプライズ企画を提案したり、“おもてなし”対応を徹底したり。当然顧客は喜んでくれましたが、肝に命じていたのは、一番大切なのは品質・安全・納期だということ。両軸がそろわないとS社のファンは増えない。全員が協力してこそ品質向上とおもてなし効果が現れる。その頃は、本当に仕事が楽しく、ワクワクする毎日を送っていました。

その後、半導体業界全体の業績悪化の影響を受け、事業が縮小、所属部門の閉鎖が決まりました。
「縮小ならば仕方ない。次を探そう」と、サバサバした考えの同僚が多かったこともあり、私も早期退職制度に応募しました。それから退職日まで「自分はどんな職種に就きたいのか」、「自分のスキルを活かせるのは、どのような企業なのか」、また、単身赴任先の東京で仕事を探すのか、家族が暮らす大分に帰るのか、ずいぶんと迷いました。再就職の厳しさはわかっていたつもりでしたが、まだその頃は(これまでの技術は活かせるはず)と楽観していたように思います。
リクルートキャリアコンサルティングは、全国どこの拠点でもサービスを受けられることを知りました。「ならば活動拠点を地元大分に移そう」と決意し、退職直後に東京を離れました。

再就職活動を始めて〜厳しい現実と支援会社の活用〜

再就職活動を始めて

家族と暮らすことを決めた大分の地で、本格的な再就職活動を開始しました。経験職種の「エンジニア」はもちろんですが、前職時代の経験をいろいろな角度から聞き出してくれたキャリアカウンセラーからは、「サービス業」を提案されました。観光は大分のメイン産業のひとつ。サービス業の求人は日頃からよく目にしていました。また、何より「人や文化に関わる仕事」に魅力を感じていたので、エンジニアとサービス業の両軸で仕事を探すことにしたのです。

しかし、活動開始してすぐに厳しい現実を実感しました。私の前に立ちはだかる壁は、「同業界の不況(=求人が少ない)」と「年齢の高さ」。また、私が退職したS社の大きな工場が大分にあったことも、残念ながらマイナスに作用しました。再就職しても2〜3日で辞めてしまう元同僚や、不慣れな面接で失礼な対応をしてしまう人がいたようで、「S社出身」というだけで企業からはネガティブなイメージを持たれてしまうようでした。
退職後も「S社出身」という事実が影響してしまうこと、逆に言えば、再就職先で活躍することが、再就職活動中の元同僚にプラスに働くこともあるということを学びました。これも、たくさん応募して、多くの「不採用」を経験したからこそわかったことです。何もしなければ書類選考が通過するわけはないし、不採用になった理由もわからない。

私は、リクルートキャリアコンサルティングのオフィスに毎週顔を出し、ハローワークも積極的に活用しました。気になった求人を前にキャリアカウンセラーと相談し、企業ごとの応募書類を作成。疑問や不安な点があれば求人開拓スタッフ経由で企業に確認する。徹底的に「ネクスト・キャリア支援サービス」を活用しました。

エンジニアとサービス業の両軸で再就職活動を進めていくうちに、サービス業の方がよい結果につながるようになってきました。もちろん、求人の多さもあったのでしょうが、私の中で「人と関わる仕事」をやりたい、といった気持ちが強くなってきたことも要因だと思います。前職時代を思い返した時に鮮明に記憶しているのは、自分が関わったことで、相手が喜んでくれた数々のエピソード。これを自分の「幹」として活動を続けたことが、よい結果につながったのだと思います。
その後、キャリアカウンセラーより「観光施設の館長候補」の求人を提案され、応募した結果、無事に内定をいただくことができました。後で聞いたのですが、どうやら面接の際に入社後の抱負をかなり楽しそうに語っていたのが決め手になったようです。

入社して〜「感動」がある仕事〜

入社して

ある意味「サービス業新人」の私が、「観光施設の館長候補」として入社し、すぐに「館長」になったわけです。試行錯誤する中、周囲の理解を得られず苦労をしました。「今までのやり方と全く違う」と、メンバーから声が上がったこともあります。でも私は、これと信じたやり方を変えなかった。これまで培ってきた自分の「芯なるもの」を信じて、従来のやり方を変えてきました。「変えること」が、新参者である私に館長を任せてくれた意味である、と思っていたのです。そのうち、周囲の人たちも共感してくれるようになりました。

この仕事には「感動」があります。旅行者との良い出会いがあり、一度来店してくれたお客様がSNSで、口コミ情報を拡げてくれるなど、「おもてなし」の効果を肌で感じることができます。
とはいえ、口コミ狙いの「サプライズ」だけでは、効果は続きません。観光施設として、提供する料理や施設全体の質を向上することは、すべての前提だと思っています。この「おもてなしと品質の両輪が重要」という感覚は、前職半導体企業時代の経験が生かされていると実感しています。いつまでも仕事でワクワクしたいと思っています。