EPISODES それぞれの「これから」

大事なのは人のご縁と
一歩踏み出す行動

草 栄樹(くさかえいき)さん

(50代)/活動期間:2か月

  • K社(製/自動車・輸送機器:営業・品質管理)
  • (株)アサカ(製/電気・電子・機械系)代表取締役

K社時代〜徹底的に叩き込まれた仕事のイロハ〜

K社時代

新卒で入社したのは、大手自動車メーカー系の部品専門メーカーK社。私は営業部門に配属されました。思い返しても厳しい社会人スタートでしたが、そこで話し方、技術、折衝力など、あらゆる仕事の基礎を叩きこまれたように思います。特にコミュニケーションについては、今でも周囲から「懐に入るのが上手い」と言われることも多く、ありがたい経験だったと感じています。
その後、生産管理部門や部品調達部門へ異動してからも社内外問わず「誰がキーマンなのか」「どのような企画を出せばいいのか」が自分なりにわかるようになり『困りごとの解決方法を見つけ、解決に繋げる』ことにやりがいを見出していました。
ちょうど定年後のことをあれこれ考えるようになった頃「早期退職制度」の案内が届きました。あまりのタイミングの良さに(動くならば今じゃないか)そう考え、制度に応募しました。家族の反対を受けましたが、すでに「自分のこれから」に焦点をあてていた私は、家族を説得し50代後半で始めての転進活動を始めることにしたのです。

初めての転進活動〜軽い気持ちでジョブフェスタに参加〜

初めての転職活動

自慢ではありませんが幼いころから高校まで続けていたスポーツや地元の友人に恵まれており、様々な場面で人脈が生きることが多々あります。K社を辞めた際に「どこも行くところがなかったらうちの会社に来るか?」と声をかけてくれる人もいて、ありがたいと感じたものでした。
『定年後も働き続けたい』ことだけははっきりしていましたが、『自分はこれからどんなキャリアを描いていきたくてK社を辞めたのか』『自分は何をしたいのか』がはっきりしないまま再就職活動がスタートしました。
そんな中、担当キャリアカウンセラーとの面談は自分にとって楽しい時間でした。これまでの仕事の棚卸しをして職務経歴書に落とし込む中で「自分の強み」「自分がやりがいを感じるもの」が明確に炙り出されてきました。こうした自分の仕事をしっかり振り返る経験は初めてのことでした。徐々に「自分」が明らかになってきた頃、キャリアカウンセラーからジョブフェスタの案内をいただきました。自分の中では(まだどこかの企業に応募する段階ではない)と思っていましたが「せっかく多くの企業と会う機会だから」キャリアカウンセラーに参加を勧められ(キャリアカウンセラーが勧めてくれるなら行ってみようかな)と軽い気持ちで参加希望を出しました。
まさかこの軽い気持ちで参加したジョブフェスタが、今後の自分のキャリアに大きく関わるとは思ってもいませんでした。

入社の決意〜勤務地ではなく仕事で選ぶ〜

入社の決意

ジョブフェスタに参加していたのが現在勤めている『(株)アサカ』(以下『アサカ』)。求人は定年による工場長の後任者ということもあり、面接官は当時の社長と工場長でした。『アサカ』は鉄道関連の部品メーカーのため、私がいた車関連の部品メーカーとは親和性がある業界であり、私の経験職種とも近しい。その後、面接に呼ばれ、とんとん拍子に内定連絡が届きました。一方、同時期に自宅から車で5分の木材関連の会社からも内定通知が届いたのです。『アサカ』は自宅から車で1時間かかる。年齢と体力を考え悩み、何人かの友人に相談したところ、その中に一人が「そんなの決まっているじゃないか。『アサカ』の仕事は今までの経験生かせる。自分だったら仕事で選ぶ」の言葉に気持ちが決まりました。自分では『アサカ』に行こうと思っていたけれども、今一つ踏ん切りがつかず、誰かに背中を押してほしかったのかもしれません。キャリアカウンセラーも私の決意を「その結論にすると思っていました」と笑顔で聞いてくれ、自分の判断が正しかったのだろうと感じた一コマでした。当然ながら、最初に「どこにも行くところがなかったら」と声をかけてくれた人には丁重にお詫びした次第です。

入社後〜半年でまさかの会社閉鎖を告げられ〜

入社後は、毎日が新鮮な驚きの連続でした。前職の自動車業界は、常に最先端の技術を開発し続け、技術や仕事の進め方が日々日々変化している。一方、鉄道業界は技術開発を進めているものの昔ながらの流儀で仕事を進める部分もあり、そのGAPに驚くことも多々ありました。それでもまずは鉄道業界の流儀を受け止め、そのうえで改革に繋げられる部分はこれから変えていけばいいだろうと考え、必死に業界のことや仕事の進め方等、古くからいるメンバーに食らいついて聞いて覚えました。
これも再就職活動の最後にキャリアカウンセラーから「規模の異なる会社、特に大手から中小企業に再就職先した際は、色々とGAPに感じる部分もあるけれども、まずはその会社のやり方を学んでください」とアドバイスされたことも大きいかもしれません。工場長候補として採用されたこともあり、入社3か月頃には社長や工場長と経営に関する会話もできるようになっていました。

入社した時期はコロナ禍ということもあり、世の中は外出を控え企業は在宅勤務を推奨、輸出も縮小されました。『アサカ』は鉄道車両の部品メーカーのため、鉄道利用者が少なくなると部品発注も少なくなり、売り上げが激減してしまいます。確かに売り上げは減少していますが会社として赤字に転落しているわけではない。当時の社長は(コロナが収束しても、働き方は変わらない。そのため売り上げが回復する見込みは薄いだろう)と判断したのだろうと思います。
入社半年後、社長から「まだ体力のあるうちに会社を閉じようと考えている」と伝えられました。すでに取引先にも一部伝えているとのこと。私は「諦めるには早いです」と社長に異を唱えました。入社半年とはいえ、すでにメンバーとの信頼関係も構築しつつあり、仲間がバラバラになるのは考えられなかったのです。
思わず「私が社長をやります」と口走ってしまいました。

社長就任〜周囲の反対を押し切る〜

社長就任

「社長になる」と言ってからが大変です。家族や友人も大反対で「なぜそんな無謀な決断をするのか」「あなたはまだ入社半年だ」と撤回するように説得されました。その中で友人の一人が「決めたのならばやればいい。応援する」と言ってくれた言葉に背中を押され、突き進むことにしました。
(まだ、会社を畳むまで落ち込んでいない。全体に巻き返せる)(動いてみないとわからない)と何度も自分に言い聞かせて動き始めました。従業員も何人か退職していきました。取引先もすでに別の取引先を見つけている可能性があります。私は、取引先へ毎日のように営業にまわり、定年退職予定の工場長を引き留め、前職時代の同僚に声掛けて技術面でのエキスパートに入社してもらい会社の土台固めに注力しました。
それ以外にも株の譲渡やら登記関連の変更等、やらねばならない初めてのことが山のようにあり、目まぐるしい日々が続きました。正直なところ「苦しい」と感じる時もありましたが「自分だけでなく従業員全員の生活がかかっている」と思い踏ん張ることができたように思います。
そんな私の姿を見て、反対していた家族や友人も応援してくれるようになりました。

これから〜せっかくなので楽しんで〜

コロナが明けた現在も、コロナ前ほどは収益が戻っていません。そこで今までの事業を大切にしながらもう一つの事業の柱を作るべく動いています。また、先日創立50周年を迎え、記念に会社のロゴステッカーを作成し、広告宣伝として鈴鹿の耐久レースに出場するバイクにステッカーを貼りました。新生『アサカ』として、事業の拡大と販促兼ねた取り組みにこれからも邁進していきたいと思っています。

転進活動を振り返って〜迷ったら動いてみる〜

軽い気持ちでジョブフェスタに参加したことで私のキャリアが大きく変わりました。K社を退職することを決めたときには、まさか自分が社長になるなど想定していませんでした。最終的に決断するのは自分ですが、あの時キャリアカウンセラーが、ジョブフェスタへの参加を強く促さなかったら今の私はここにいません。(どうしようか)と迷ったら、キャリアカウンセラーのアドバイスに従って動いてみることをお勧めします。

そして活動を通じて「友人」の大切さを実感しました。入社や社長になることを決断する時も友人のアドバイスがあってのこと。昔からの友人もいれば前職時代の友人もいて、人とのご縁に自分は助けられているように感じます。人とのご縁が仕事にも結び付く。そんな感想を抱いた初めての転進活動でした。