EPISODES それぞれの「これから」

動かなければ始まらない

義肢装具士の魅力から始まった再就職活動

宮林 秀充さん

(50代)/活動期間:11か月

  • B社(大手飲料メーカー/生産管理・開発・営業・管理職)
  • (株)小原工業(医療機器メーカー/執行役員)

ダイナミックな仕事の醍醐味と腹落ちさせねばならぬ思いを味わったB社時代

新卒で入社したのは、大手飲料メーカーB社。子供のころから「ものづくり」が好きなこともあって、メーカーに就職するのは自分にとって自然の流れだったように思います。
B社では工場の生産管理、品質保証、製品開発そして法人営業まで幅広く経験しました。その中で忘れられないのは、ウィスキー工場でのエピソードです。
ウィスキーは、パッケージ(瓶)を個性的にして差別化を図るため、パッケージが変わると充填機のパーツなども変わり、新たな生産ラインを作らなくてはいけない場合があります。それには数千万円の投資が必要となりますがB社にとってウィスキー部門へのプライオリティは低く、販売見込みが未知なる新製品に十分な予算が得られませんでした。そこで「予算がないならば自分達で充填機を作ってしまおう」と自ら設計し、部品を数十万円程度で調達して、手作り生産ラインを完成させました。その製品は今でも店先に並んでいます。店頭で見かけると、その頃のことを思い出して、つい購入してしまいます。
自分が手掛けた製品が世の中に出回る、世界中の人の手に渡るダイナミックな仕事にやりがいを感じましたが、一方で、コストをはじめ制約が多く自由度が限定的な大手企業ならではの状況に、窮屈さを感じていたように思います。

テレビに映った義肢装具士の仕事と情熱に心がざわめき、早期退職へ

ある時、何気なくテレビをつけると義肢装具士の臼井二美男さんのドキュメンタリー番組が放送されていました。
歩くことをあきらめていた人が、カスタマイズされた義肢をつけて笑顔で歩いたり走ったりする姿にくぎ付けになり、テレビで語られていた「足を失った人にもう一度走る喜びを味わってほしい」のスタンスにいたく感銘を受けました。いつまでもその感動が頭から離れず、義肢装具士への関心がどんどん膨らんでいきました。
“モノづくりと社会貢献”このキーワードに心が揺さぶられ(今の仕事は充実しているが、勤め人ならいつかは会社を辞める時が来る。今がチャンスなんじゃないか?)そう思ってB社の早期退職制度に応募しました。

再就職活動のスタート。義肢装具士への想いは強いが現実は厳しい

「義肢装具士になりたい」これが再就職活動のスタートでした。しかし、国家資格取得までの時間、その間の経済的な問題・・・調べれば調べるほど自分には困難な道だと痛感するのです。そんな不安を担当カウンセラーに伝えると、その夜にカウンセラーからメールで義肢装具や福祉機器の企業情報が大量に届きました。「学会から情報を得るのも手ですよ」と、学会のURLも明記されていました。
そのメールは「まず動かなきゃ」と私の背中を押すメッセージが込められていたように感じました。
コロナで外出もままならない状態だったことを理由に、家で趣味のモノづくりに夢中になっていたのですが、カウンセラーから届く情報や定期的な面談がなければ、活動をおろそかにしてしまったように思います。

飛び込みでボランティア活動に参加。偶然、義肢装具メーカーの社長と出会う

「義肢装具士」ではなく「義肢装具にかかわる仕事」に方向を定め、活動する傍らテレビでみた義肢装具士の活動も追いかけていました。臼井さんは障がい者スポーツ振興にも尽力されており、定期的にイベントを開催していました。コロナで中止されていたイベントが久しぶりに開催されることを知って、飛び込みボランティアで行ってみることにしました。飛び込みなので特に役割があるわけでもなく、義足で走る皆さんを見ていた合間にたまたま隣にいた人に話しかけたら、偶然にもその方は義肢装具部品メーカー小原工業の社長だったのです。
前職を退社して名刺がないので、名刺代わりに経歴書を持参していたことが奏功し、小原工業の社長に経歴書を渡し、義肢装具にかかわる仕事に就きたいことなどを話したところ「こんな人を探していた」といきなり話しが進展したのです。
小原工業では、海外に低価格の義足を提供する事業を展開することを企画しており、その場で意気投合。「よかったら一度見に来ませんか?」とお誘いを受けたのです。
私は「プロボノ体験として無給でお手伝いします」と即答しました。
この日に自分がイベントに飛び込み参加しなければ、たまたまその日に小原工業の社長が来なければ・・と様々な偶然が重なって、次のステージに進めました。クランボルツの「計画された偶発性理論」を実体験したような気がします。

正式に役員として

「まずはボランティアで動いてみます」とカウンセラーに話しをしたところ、「契約締結前なのに大丈夫ですか?」とずいぶんと心配されました。それでもボランティアで動くうちにお互いがわかってきたようで、社長から「これから事業拡大するうえで必要です」と役員待遇での入社を打診されました。私もボランティアで動く中、社長の事業に対するスタンスに共鳴し、入社を決意したのです。従業員数20名強の会社の新入社員としてスタートを切ることができました。ボランティアで動いた期間は、お互いをわかる意味でも私には良い期間だったと思います。

そして今。海外に向けた製品開発に注力〜義肢ユーザーが笑顔で暮らせる社会を目指して〜

私が採用されたのは、カンボジアやタンザニアといった国民所得が低い国で義肢を販売する事業を立ち上げるためです。ご存じですか?義足って高価なんですよ。年収10万円で暮らす国の人には日本で流通している義足に手が出せない金額です。そこで、彼らが頑張れば購入できる金額の製品を開発しています。
足を失ったことで働くことも自由に外にも行くことも出来ずに憂鬱な毎日を強いられていた人が、義足をつけることで自由に外を出歩き、どこかで働く場所を見つける。そして義足代は自分で稼いだ中から支払っていければいい。義足ユーザーの雇用を創出し、社会進出を促進し、明るく前向きな人生をデザインできる社会を創りたいと思っています。
来月にはバングラデッシュに試作品の販売に行く予定です。国から補助金の支援が受けられるよう実績を作ることが目的です。すでに販売チャネルは確立していますので、実践という新たなチャレンジを遂行して参ります。
また、「執行役員」として迎えられたわけですから、新規事業だけを手掛けていればいいわけではありません。自社製品の販売や部品の修理、HPのサイト制作や採用と会社事業全体が自分のステージ。そんな中で感じるのは、前職での経験や人脈のありがたさ。製品のパッケージを作る際は、前職時代に築いた様々な企業との人脈ネットワークに相談したり助言を求めたりと、色々助けられています。また、木工、3Dプリント、溶接まで広がった趣味のおかげで工作機械の修理も手掛けられるようになりました。
仕事の経験も趣味も無駄なことは何一つないものなんものだと、転職してから強く感じています。

再就職活動を振り返って〜動かなければ始まらない〜

今、毎週水曜の夜は憧れの義肢装具士の臼井さんが主催する陸上練習会ボランティアで参加しています。仕事もして、ボランティア活動なんてハードすぎると思われますが、今の仕事は「時間は自由に使っていい。ただ結果を出せばいい」と社長に言われているので、かえって厳しいですが、自覚と責任を持ちマイペースな働き方が出来ることに感謝しております。
最初に目指していた「義肢装具士」ではありませんが、当初のキーワードである「ものづくりと社会貢献」「義肢装具にかかわる仕事」に就くことができ、本当に嬉しく思っています。カウンセラーから多くの求人情報や動くためのヒントを多く頂いたことと併せて定期的に面談し、背中を押し続けて頂いたことが自分自身の行動に繋がったと確信しています。動くことで夢が現実になる、言い換えれば動かなければ何も始まらないということでしょうか。それを実感しています。